「多様化した社会」について

最近よく聞くのが「社会には色々な人がいて、以前よりも多様化しているから、その人たちの意見も尊重して、、」だ。

僕は本当にそうなのかな?と思う。

もともと以前から色々な人がいて、普通?の人達はそういう人達の事を異端視し、ただ見えないふりをしてきただけではないかと思う。


だいたい、こういう事を言う人達に限って、色々な人の意見を活かせるように話を聞いて、、というがそこで話がまとまらなかったらどうするんだろうと思う。

多数決を採るのか?

多数決と民主主義はイコールではない。

多数決とは、民主主義において現在ある程度有効だと考えられている決定手法に過ぎない。

そして、多数決を取るというのは大多数のマスの考えを採用するという事であり、それって少数派の意見の無視にはならないのだろうか?

多くの人の意見を聞いて、それを基に最終決定したら良いという人達に上記の疑問を率直にぶつけてみたい。


多様化社会とはなにか?

それは「譲り合う」社会である。

お互い考え方も違い、趣味嗜好も違う。

昔から我儘、自分勝手な奴はいた。

そして、それを我慢する人がいた。

多様化する社会での処世術は、決して、自分勝手な奴が他人の事を慮る事もなく、好き勝手にやって良いという意味ではない。

世の中には色々な考え方の人間がいて、自分が良いと思う事に全く違う角度からNOを出す人間がいるという事を受容し、その時に正面から自分を通そうとしたり、反発するのではなく、一歩踏みとどまって、ああそういう考え方もあるのか、じゃあここはこちらも少し譲らなくちゃな、と考える事が大切である。

それが多様化する社会を生きる術である。

でもまあ、昔から他人への思いやりが大切なのは普遍の事なのではあるのだけど。

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