与え続ける事が出来ない者は、決して与えてはいけない

僕は20代の頃、仕事で行ったインドが初めての海外だった。

 

そこで子供の乞食を初めて見た。

 

物乞いをする彼らに優しさからというよりも煩わしさからだったか、お金を与えようとした僕の手を、一緒にいた現地の取引先の人間から鋭く制され、こう告げられた。

 

 

  恵んではいけない。

 

  明日も明後日もその後も、あなたは彼らに恵んであげる事が出来るか?

 

  それが出来ないなら今決して恵んではいけない。

 

 

僕は意味が分からなかった。

 

 

先日、僕が知っているボランティア活動が唐突に終了すると、そこの事務局から連絡が来た。

 

そのボランティア活動というのは、児童養護施設に通う子供達の中から、経済的な面から進学を断念する数人に奨学金という形で有志が支給し、彼らの未来をサポートするというものであり、微力ながら僕も参加していた。

 

それが急に役割を終えたと宣言し、一方的に発展的解散を告げてきた。

 

 

その時、僕はインドでの出来事を思い出した。

 

ああ、こういう事だったのかと感じた。

 

一瞬だけの同情や憐み、それは興味本位と同じ事だ。

 

本当に人を助けていくという事は「継続していく」事が必要だ。

 

その気構えがない人間はボランティアなどしてはならない。

 

 

そのボランティアは自己満足ではないか?

 

自分より弱い者を助けるという行為をする事で、自分というアイデンティティを保っていないか?

 

自分探しのためにやるのであれば、周りの人間が迷惑する事が分かっているか?

 

そして、それを続けていく事が出来るのか?

 

これらの事を常に問い続けていく必要があると僕は思う。

 

 

上記の活動は本物ではなかった。

 

決して終わってはいけない活動だったはずだ。

 

残された子達の未来はどうするつもりなのだ。

 

そして、次は自分が、と思っていた子達の気持ちは。

 

ふざけている。

 

 

ただ、こういう活動に関わっていていつも思うのが、一人の人間だけに思い切り負荷がかかる活動は続かない。

 

そして、ある程度無理なく経費も出せ、それなりの手当ても活動している人間に渡せるような運営を目指さなくては、これもまた続かない。

 

でも、そこでおカネの発生を産み始めると、今度は別の性格の人間達が入り込んでくるのが、こういうボランティア活動の常である。

 

非常に悩ましい。

 

 

本来は子供達に恵んでやる、食わせてやるというスタンスは僕は良くない、と思う。

 

あくまでも自分の力で食う方法、食う力をつけるためにサポートするのが、我々大人の仕事だと僕は思う。

 

 

そして、それを継続して、ある程度永続的に行う。

 

その覚悟がないとボランティア活動などは決してやってはいけないのだ。

 

サポートしたい時だけサポートし、熱が冷めたら放り出す、、そんな事は許されない。

 

子供は大人のおもちゃでも、自己満足の道具でもないのだ。

 

 

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