<中国仕入れサービス・カンフー宅配便を始めたきっかけ④>からのつづき
広州の空港に降り立った僕は、、中国って本当に広いんだなー!と思いました。
広州は中国の最南端と言っても良い場所で、高温多湿の気候、空港の外はむせ返るような熱気でした。
空港の窓から見えるのは、今まで見てきた中国の景色とはだいぶん違い、ヤシの木みたいなやつが立っていました。
※僕が初めて行った当初は街中に古い空港があり、僕はその空港の事を上記には書いており、今では郊外に新しい大きな空港が出来ており、全く景色は違います。今は古い方の空港の土地はマンション地区に開発されています。
空港から、広州駅前は車で渋滞していなければ20分くらいなのですが、広州は上海と北京に次ぐ、中国第三の大都市です。
交通渋滞は広州の日常茶飯事で、これは昔から変わりません。
のろのろしか進まない渋滞にイラつきながら、1時間ほどかけてやっと駅前の市場に着きました。
ちなみにですが、市場のよくあるパターンというか、成り立ちの多くは「人と人が交わる場所」にあります。
例えば、韓国ソウルの市場もそうです。
もともと、ソウルは漢城と呼ばれた李氏朝鮮時代は、中心部を外壁で囲まれた城塞都市であり、外部との接点が東大門、南大門と呼ばれる各門でした。
内部の人間と外部の人間が、そこで商品の売り買いを発生させ、自然な成り立ちとして市場が生まれました。
なので、今でもソウルはその場所に市場があります。
話を広州に戻すと、広州という大都市に田舎、多くは湖北省、湖南省などの貧しい地区から行商人が商品を列車に乗って運んで来る、その結果広州駅前に古くから市場が存在したという事です。
それはそうと、最初に市場に入ってみて、軽い衝撃でした。
韓国の市場のようなノリを想像していたのですが、まるで違いました。
愛想の悪い店員さん、商品は何だこりゃレベル、バイヤーなのか分からないけどケンカ腰に僕にぶつかってくる通行人、、カルチャーショックでした。
確かに韓国に比べたら、商品の値段は安いけど、本当にこれ大丈夫かな?といった感じでした。
なので、最初は韓国と併用しながら、徐々に中国商品の比重を増やしていく、というやり方を日本ではしていました。
その間に、韓国で売っている商品が徐々に「あれ、これ似たようなやつ、中国にあるじゃん」と気づきました。
韓国生産自体がへたってきつつあったのと、中国が伸びつつあった、そんな過度期だったように思います。
そういう意味では良いタイミングだったように、今は思います。
あの頃は毎日が大変でしたが。
<中国仕入れサービス・カンフー宅配便を始めたきっかけ⑥>へつづく