何事も謙虚に

 あるプロ野球選手の試合後のインタビューが気になった。

2年ほど調子が上がらず、ファーム暮らしを経て、ようやく今季より1軍に復帰した試合で
何とか結果を出し、久しぶりのお立ち台でのコメントだった。

「家族に感謝したい」

彼は満面の笑みでそう言った。

この時も違和感を覚えた。

次の勝利投手になった試合でも、彼の口からはもっと感謝を述べなければならない相手の
名前は出なかった。

その表情は非常に傲岸に思えた。

なぜ、この選手は一番自分を支えて続けてくれた「ファン」に感謝しないのだ。

まずはそこからだろうと私は思った。

確かに若き日の彼には力があったのかもしれない。

しかし、最早彼も30歳過ぎ、身体能力が衰えているのは明白なのだ。

ただ、それでも昔の思い出と共に彼のマウンドに立つ姿を応援してくれるファンがいる。

決して、自分の頑張り・努力のみで今マウンドに立てていると、錯覚してはならない。

全てはファンやそれ以外の関係者のお陰なのだ。

家族に感謝するより、まずは赤の他人に感謝しろと言いたい。

それがどんなに有難いものなのか、彼は理解していないのだ。

昔、自民党の河野一郎がソ連との漁業交渉に成功し、喜色満面で帰国した際に、病床の
三木武吉はこう言ったという。

「決して凱旋将軍の面持ちで帰って来てはならぬ」

そうする事で国民はその功績を評価してくれるのだ。

決して、自分の力をひけらかす事のみに価値を見出してはならない。

みんなが見ているのを忘れてはならない。

多くの人に支えられている事を忘れてはならない。

その感謝の気持ちを常に表す事で、更に助力者が増えていく。

余談だが、最近違和感を感じる日本語の使い方について。

よく「凱旋○○」という言葉が新聞、ニュースで使われる。

凱旋という言葉は、ただ故郷、古巣に帰ってくる事を指すのではない。

あくまでも戦いに勝利して、故郷なりに帰ってくるの事をいうのだ。

戦争に勝った帰国する将軍を迎えるために、古くは「凱旋門」は存在していたのだ。

大リーグの選手なども、岩〇などが日本で登板してもそれは凱旋登板ではない。

ただの帰国登板だ。

イチローは凱旋出場という使い方で間違いではない。

あしからず。

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