論語に出てくる言葉で「四海兄弟」という言葉がある。
「世界中の人々は皆、自分と同じ人類であり、礼儀と真心を持って相手と接すれば、兄弟のように仲良くなれる」という意味を表す四文字熟語である。
今の世界はどうだろうか。
戦争が絶えないのはなぜか。
経済で対立するのはなぜなのか。
自国の利益のみ追及しても、そこには相手の気持ちを慮る努力はあったのか。
異教徒であれ、民族の違いがあれ、上記の心を持ち、まずは対話を試みたのだろうか。
他人を知るには、まずは自分を知ってもらう事が大切だ。
日本も同じだ。
沖縄などの揉め事ももっと上からではなく、まずはお互いの心の絆を深め、それから本土からのお願いをする事が必要であったのではないか。
学校でのいじめにしても、同じ同級生同士で心の交流をする努力はしたのか。
商道徳にしても、下請けと元受けの関係にしても、本来は敵対、主従関係ではなく、同じ目標を持つ同志ではないのか。
そこに相手を知ろう、理解しよう、慮ろうという努力は果たしてあったのだろうか。
古い書物にばかり、その問いを求めようと逃避しているわけではないが、やるせないニュースで世界中は溢れかえっている。
話が合うやつばかりではなく、良い奴もいれば悪い奴もいる。
その事はもちろん分かってはいるが、それでも人を信用し、また信用してもらう気持ちを忘れてはいけない。
それが、人間としての道である。