去る6月19日は妹の7回忌だった。
昨今の事情もあり、残念ながら集まり的なモノは開かれず、僕も遠い地から妹に思いを馳せる事のみしかできなかったが。
空を見上げて妹の事を久しぶりに考えてみた。
すると、やはり「悪かったな、ごめんな」という言葉しか出て来ない。
なんでもっと可愛がってやらなかったんだろう、なんでもっと労わってやらなかったんだろう。
後悔の念しかそこには湧き上がっては来ない。
失ってから後悔する事に何の意味があるだろうか。
死後の世界など僕は信じていない。
人というものは生きている内が全てなのだ。
死んでしまったら、それはただのカルシウムの塊である。
亡くなった後に後悔するのは残された者の欺瞞である。
妹が生きれなかった分まで僕は一生懸命生きようと思う。
それは長く生きるという意味ではなく、妹がやれなかった分も含めて、僕が自分の人生を面白おかしく、楽しく、やりたい事をやってやろうと思う。
僕の母親は50歳で亡くなり、妹は41歳で亡くなった。
母親の分20年、妹の分30年を僕は背負って、恐らくあと20年くらいであろう僕の人生を充実させていきたいと思う。
それが、僕なりの彼女たちへの弔いだ。
妹が残した姪っ子と甥っ子の3人も、それぞれ7年前よりはもちろん大きくなった。
妹へ対しての僕からの贖罪は、3人の未来を必ずや明るいモノとする事だ。
彼らがなにかお金が必要となった時に頼れる叔父さんであり続けるために、僕はまだまだ頑張って稼がないといけない。
彼らには「妹の子供に生まれて良かったな」そう思ってもらえるように、僕は毎日を懸命に生きなければならない。