子供に大空を

 先々週の日曜だったか、朝の8時ぐらいに小3の倅にせがまれ、彼の小学校に行った。

彼の今の流行は野球技術の習得のようだ。

僕に技術の継承を求めるが、申し訳ないが、もはや僕の心と身体はバラバラだ。

頭では分かっていても、若い頃のような動きは出来ない。

すまない、倅。

瞬く間に疲労した灰色の筋肉を休めるために、僕は何十年振りかでブランコに腰かけた。

そして、目の前の校庭をぼんやりと眺めた。

僕が生まれ育った田舎の思い出と比べて、目の前には狭小の広場、そしてマンション、ビル
で遮られ、息が詰まりそうだ。

都会で過ごす彼らは確かにチャンスに恵まれているかもしれないが、その代わりに得られな
いものもあると思う。

僕は何となく倅を不憫に思いながら、気を紛らわせるために大地を蹴って、ブランコを漕い
でみる。

その時、驚いた。

地上を見るとあんなに閉塞感があったのに、ブランコと共に大地から離れて頭上に顔を上げ
れば、学校の校庭の上には何も遮るものがない大空が広がっている。

それは僕が30年ほど前に毎日見ていた、優しき青空と何ら変わらない。

福岡市中央区の中心地・天神で、これだけの広大な空を全身に感じれる場所はここだけだ。

大自然の恵みを感じる場所が、ここにはある。

学校という場所は大切だ。

そして、学ぼう、感じようと思うと、場所は関係なくいつでも出来るものだ。

いささか感激し、倅に僕の幼少の頃の話でもしようかと思い、倅の名を呼ぶ。

だが、父の呼ぶ声が聞こえないのか、校庭を走り回っている。

どこででも、田舎でも都会でも、元気いっぱい遊べる。

時も場所も関係なく、子供という生き物の行動は普遍だ。

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