今年は19年ぶりに死刑執行がゼロに終わるそうです。
私は死刑積極論者ではありません。
でもいつもこういうニュースを目にすると、感じる事があります。
なぜ、法相は法律で定められた職務を放棄するのか?
ということです。
素朴に下記のように思うのです。
信条として死刑執行に反対するのであれば、そもそも法相の職を引き受けるべき
ではないのではないか。
個人の感情で責任を回避するのであれば、その責務を全うするに値しない人間である。
私はそう思いますが、間違っていますでしょうか?
どうしても人間の生死に関わってくるので、積極的に法相の責任問題まで突き詰められずに
チャンチャンとなるこの問題ですが、私は非常に不合理さを感じます。
もう一度言いますが、最初から死刑執行にサインしないと明言している人は法相にしないで
下さい。
そうでないと、法治国家の根幹の問題に関わります。
私は人命を軽視しているわけではありません。
歴代の法相の方たちは、死刑執行のサインをなさる時に一晩中悩まれ、断腸の思いで署名を
なされていると固く信じています。
もちろん、私にはそんな地球よりも重い仕事は絶対に出来ません。
だからこそ、その職務の重さを理解し、それが出来ない人には絶対に就いていただきたく
ないだけなのです。
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