僕の親父は東証一部上場企業の社員だった。
なので、地方のサラリーマンとしてはかなり給料が良かった。
僕ら4兄弟全員が文系とはいえ、私立の大学に行けたのはもちろん親父の稼ぎが良かったからだ。
親父は小さい頃から長男である僕に、自分と同じ道を歩むように諭し、また期待し、僕もそのつもりだった。
あの日まで。
先日知り合いの子供さんが就職活動に苦戦していると聞いたので、今日は自分のケースを振り返ってみたい。
大学4年の5月の中頃だった。
僕はその頃までほとんど就職活動らしい事をしてなかった。
それはなんとなく親父が勤めている会社に入るのかな、と思っていたからだった。
その頃親父は毎日電話をしてきては、自分が今縁故採用してもらえるように色々動いている旨を伝えてきていた。
僕は何か分からないが胸がモヤモヤしていた。
親父の熱心さが煩わしかったのか、今まで何も考えてなかった「働く」という事が現実味を帯びて迫りつつある現実が怖かったのか、なにか腑に落ちない何かを感じていた。
親父に対して徐々に煮え切らない返事をしていたように思う。
そんな中、僕はお袋の面会に病院に行った。
お袋は2年ほど前から膵臓がんを患っており、末期だった。
お袋は親父から、親父の意に添うように助言するように伝えられていたようで、最初は僕にそう諭した。
だが、お袋は聡明な人だった。
すぐに僕の意を汲み、微笑みながらこう言った。
「あなたは生きたいように生きれて良いね」
僕はお袋の半生をそこで聞かされた。
色々な事を我慢し、自分の意に添わなくても押し黙り、人のために尽くしてきた事を。
微笑みを絶やさずに楽しそうに話した彼女は最後にこう言った。
「生きたいように生きなさい」
数日後、僕は親父がセッティングした面接に行かなかった。
それから親父との仲はしっくりいかなくなったが、それはしょうがない事だ。
僕はそれから就職活動を始めた。
かなり遅いスタートだった。
でも、僕は今までの僕と違った。
僕はまずの目標を持った。
それは「将来、独立起業する」という事だった。
そのために下記の条件を考慮し、就職先を探した。
◎中小零細企業で出来るだけ順番待ちをしなくて良く、経営層と近い事。
◎独立しやすい業界、業種である事。
僕の時代は就職氷河期と呼ばれ、超買い手市場であると定義された。
いわゆるロストジェネレーション、失われた世代ってやつだ。
でも、みんなの嫌う仕事はいくらでも働き口はあった。
みんな自分の能力以上の会社を目指すから、なかなか決まらないのだ。
そして、独立しやすい商売という事は総じてあまり安定しない業界であり、そういう仕事は人気もなく、就職先として滑り込むのはそこまで難しい事ではなかった。
僕はすぐに地元の中小企業だが、老舗のアパレルに就職が決まった。
お袋は9月に亡くなった。
僕は墓前で誓った。
「この人の分まで、この人が出来なかった分まで、僕は自分のやりたいように生きてやる」
あれから色んな事があったが、僕はあの病床に伏せるお袋が言ってくれた言葉が、僕という人間を変えてくれたと信じている。
僕はあの瞬間に違う人間に生まれ変わったと思う。
だから、今でも迷った時に僕はこう自分に問いかける。
「僕はどう生きたいのか」
そう思うといつだって、全身に力が湧いてくる。
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