お呼びが掛からない舞台に勝手に上がる芸者は居ない。
だからこそ、必死に芸を磨き、常にお声が掛かるように自己を鍛錬するのだ。
翻って考えると、お呼びが掛かる者は、そうではない者の無念の分も背負って舞台に
上がるべきなのだ。
私はそう考える。
2012年12月29日、東京・後楽園ホールでプロレスラー・天龍源一郎の復帰戦が
開催された。
もちろん、主旨は天龍源一郎の1年強振りの復活であり、各レスラー達も各々のテーマを
持ってリングに上がっていたが、それさえも色褪せてしまうぐらい、我々ファンの思い
は熱かった。
メインイベントの入場で、天龍源一郎復活を祝う、幟の多さに大いに興奮した。
そして雷鳴が轟き、テーマ曲であるサンダーストームが鳴り響く。
そして、その中をゆっくりと我らが天龍源一郎がリングに上がる。
もう何度となく目の当たりにしている光景のはずなのに、何故か胸が熱くなる。
天龍はトップバッターを買って出て、早速水平チョップ、グーパンチを繰り出すが、
直ぐに現役バリバリの相手達にボコボコにやられてしまう。
コーナーで待っている間もかなりしんどそうだ。
そりゃそうだ、天龍は来年2月で63歳。
うちのオヤジと大してかわらない歳なのだ。
一緒にコーナーに立っているレスラー達の歳は、2回りぐらい違うのに。
何故それなのに、この歳になってリングに帰ってくるのだ。
それも帰ってくるために、人生初めての身体にメスを入れる手術をしてまで。
それはやはり、求める我々がいるからだ。
我々ファンが天龍源一郎を求めるからだ。
天龍源一郎は我々ファンを決して蔑ろにしない。
絶対にファンを裏切らない。
そして、天龍はそういう場に上がれずに去って行った人間の人生も背負い、その者達の
思いも胸に自分が求められる舞台に立つ。
こう言っては気分を害する人がいるかもしれないが、例えば今年は日本人の有名メジャー
リーガー、プロ野球の有名選手が幾人か引退した。
多くが40歳丁度とか、30代後半とかである。
僕はこう思う。
何故もっとボロボロになるまでやらないのだ。
今まで支えてくれたファンに恩返しは全て出来たのか。
何故まだまだポジションは提供されようとしている段階で、自分で幕を引いてしまうのか。
夢破れ、道半ばで去って行ったかっての仲間達、その者達とは違い、自分はまだまだ活躍
出来る可能性があるのに、なぜその者達の分までやらないのだ。
ファンのため、かっての仲間のため、そしてお世話になった業界のため、そういう思いは
ないのか。
僕はそれは本来は義務だと思う。
僕は場所が与えられる限り、ファンが求め続ける限りはやり続けるべきだと思う。
そういう職業がプロスポーツではないのか。
もちろん、最低限のレベルに達しないというのだったら話は分かる。
でも、昨今の理由は自分のイメージする自分という選手との乖離を引退の理由にする選手が
多い。
でもそれはエゴじゃないのかと僕は思う。
傲慢だとさえも思うのだ。
もちろん、プロレスはプロ野球とは違うし、他のスポーツとも違う。
だからこそやれるのだという意見も理解できる。
しかし、だからこそ天龍源一郎のように一時代を極めた者であるがはずなのに、こうして
ボロボロになってさえも、我々ファンに応えようとする、その姿勢が僕は凄いと思う。
もちろん、プロレスでも最近は30代で辞めちゃうレスラーも多い。
ファンに求められていないが半分、自分でカッコいいままに辞めちゃうが半分だと僕は
かってに思う。
でも僕らプロレスファンは、そんなサラリーマンみたいなレスラー達を支持はしない。
今は亡き冬木弘道ではないが、死ぬまでレスラーであって欲しいのだ。
言わずもがな、冬木の師匠は天龍である。
天龍はきっと志半ばでこの世を去った、冬木の魂を背負っているに違いない。
ともあれ、リングに帰ってくるというファンとの約束を、天龍源一郎はいつも通りきちんと
守ってくれた。
天龍は最後に言った。
「今日はありがとうございます。この思いはまたリングでみなさんに返していきます」
次は体調を万全に整え、来年の格闘技生活50周年を迎えて頂きたい。
最後に愛娘の天龍プロジェクト代表の嶋田紋奈さんも招き入れ、握手を交わす。
そうだ、娘に支えられ、また娘との約束も守ったのだ。
大したもんだ。
ラストは選手、観客全員でのエイエイオー!で締めた。
天龍がその際に言った、「今年一年の嫌な事は忘れて、みんな行くぞー!」
最高のフィナーレだった。
最高の2012年の締めくくりだった。
よし、もうすぐ2013年!新年も早々から頑張るぞ!!!!!
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