今でも世界中で戦争が継続している事を、「原爆の父」オッペンハイマーはあの世でどう頭を抱えているのだろうか?
先月アメリカで封切られた、彼の名を冠した映画は順調に来館者数を伸ばし続けているという。
日本での公開は未定であるというが、本来は同時期に封切られ、戦争を経験した世代の方が少なくなっている今こそ、我々戦争を知らない世代に「戦争とは、原爆とは、国家とは」というモノを訴える必要があるのではないかと考える。
本日は8月9日、78年前に長崎に原爆が投下された日である。
僕の父と母はその前年に対岸の地で産まれ、26年後に僕もまた同じ場所で産まれた。
父と母がもしその惨禍に巻き込まれていたら、僕はこの世にいなかった。
アメリカ人の言う「戦争を終わらせるための原爆投下の正当性」という言葉は、その後今日に至っても無くならない世界中での戦争の前では無力だ。
戦争にどちらが正しいもない。
あるのは自分達の利のみだ。
僕はロシアに対しても、ウクライナに対しても嫌悪を覚えるし、それを後押しする各国、偏向報道する日本のマスコミにも吐き気がする。
今一度、歴史を振り返り、戦争とは何か?を皆が考えなくてはいけない。
これは特に被爆国・日本の国民の責務であると僕は思う。
「ただただ、人の命を無駄にし、勝者も敗者もどこにも存在しない」、それが戦争というモノである。