明日8月15日は日本にとって終戦の日。
本日はちょっと違う角度で戦争というモノのやるせなさを考えてみたい。
「棄民」という言葉がある。
戦争によって難民と化したが、国に見捨てられた人々の事である。
一般的に顕在化していない理由は、国が黙殺しているのと我々日本国民の問題意識の欠如である。
代表的な例は、旧満州・現在の中国東北三省に置いてけぼりにされた中国残留孤児の方々だ。
僕が幼い頃、日中国交正常化に伴い、彼らが肉親を捜しに、また自分の出自を求めて、日本へ一時帰国をされている光景がテレビに毎年映し出されていた。
だが、半数も身元が判明せず、悲嘆にくれ、泣き崩れ、肩を落としてまた中国に戻らざるを得ない、その姿を今でも覚えている。
彼らは日本人なのだ、と満州で終戦を迎えた僕の祖父は教えてくれ、涙を流していた。
中国に戻り、また日本人でも中国人でもない自分として暮らせざるを得ない人、肉親と出会えて日本人に戻れた人もその生い立ちから日本語が喋れずに日本社会でいじめなどで相当な苦労をした人、、彼らの人生を狂わせたのはひとえに戦争というモノである。
フィリピンに日本人の血を引く老人の方々が多くいらっしゃる事を、日本に生まれ育った日本人で知っている人は少ない。
彼らは戦前、大東亜共栄圏の膨張により、日本人が海外へと活路を求めていた時代の落とし子である。
戦後、フィリピンでは男親の国籍が子供の国籍という法があり、出兵し帰らなかった父、妻と子を残し帰国してしまった父を持つ子供は無国籍状態となり、長く社会保障を受ける事が出来ず、また日本人の子とバレては迫害されるので、身を隠し、辺境の地に今も住む方は多い。
この事に対して、日本国がきちんと向き合ったというのは聞いたことがない。
戦中、日本統治下にあった台湾においては、多くの台湾人が日本人兵として徴兵され、最前線へと送られた。
その方達への戦後の補償は、日本人へのそれとはまったく比べ物にならない程の低額でしかなく、それは今も見直されていない。
だが、彼らはあくまでも日本人として、天皇陛下に忠誠を誓い、日本国のために戦った我々先祖の同胞なのだ。
全ての人の人生を狂わした戦争について、もう一度「歴史に学び」「想像力」を持って対処しなくてはならない、と僕は思う。
どんな為政者にも、人の人生を奪う権利はないはずだと僕は強く考える。