2024年版「夢の懸け橋」を観戦して

1995年4月2日の興行から、もう29年も経ったのか、、
僕は新木場1stRINGの最前列の固いシートに腰掛け、遠い記憶に思いを馳せた。
プロレスが僕の中でとてつもなく熱かった、あの時代に、、

当時のプロレス界は多団体乱立時代。(今は多団体混乱・混迷時代というか、カオスだ)
その中で天龍源一郎率いるWARは孤軍奮闘というイメージだった。
業界の雄・新日本プロレスとの対抗戦も一息つき、これから団体としての独立独歩を目指さないといけない時期だったと思う。

僕は今でもそうだが、一番好きなレスラーは天龍さんだ。
全日本プロレス時代の天龍革命、SWS、そしてWARと常に天龍さんを応援し続けてきた。
そんな「ミスタープロレス」天龍源一郎がファンの大多数からそっぽを向かれた時がある。
(僕はもちろん天龍さんを支持し続けた)
全日本プロレスを退団し、メガネスーパーが受け皿となり旗揚げされたSWSへと移籍した時だ。
そしてそれを偏向記事で揶揄しながら、ファンの理解を捻じ曲げたのが当時の週刊プロレスの編集長・ターザン山本だった。

「天龍は金で動いた」
ターザンは間違いなくそう書いた。
そして、当時の純粋なプロレスファンは、みなそれを一様に信じた。
僕は悔しかった。
「あの天龍さんが全日本プロレスで一生懸命己の身体を削って、努力と汗と涙を流し、天龍革命を起こして、プロレスに革命を起こしてくれた。それがお前ら嘘だったと思ってるのか?金の為だけと思ってるのか?お前らは天龍源一郎の何を見てたんだよ!」と。
そして、天龍さんはファンからの支持を失い、結局天龍さんが屋台骨のSWSは2年程で崩壊した。

でも、その時に天龍さんは週刊プロレスやファンに対して、恨み節は一切発しなかった。
憤懣やるかたない思いはあったと思うが、そこに僕は天龍さんの漢気を見た。

それから3年程の時が流れて、天龍さんをトップとしたWARという小さい団体は気を吐いていた。
そして1995年、唐突に週刊プロレスを発刊するベースボールマガジン社が主催する、プロレスオールスター戦「夢の懸け橋」が東京ドームで1995年4月2日に開催される事が発表される。
業界マスコミという立場をチラつかせ、週刊プロレスは各団体に出場のオファーを送り、もちろんWARにもその声はかかった。

だが、WARは快諾しなかった。
まずの理由は、同日に同地内の後楽園ホールをたまたま興行日程として押さえていたからだった。
交渉役のターザンは焦り、ついホールの収益を上回る額の出場料を提示してしまう。
ターザンとしては、興行としての「ドームとホールの2元開催」でも考えていたのかもしれない。
ただ、WARはその依頼を拒否した。
なぜか?

答えは簡単だ。
「天龍源一郎は金じゃ動かない」という事だった。
5年後の強烈な意趣返しに、またまた僕ら天龍ファンは涙を流しながら酔った。
そこから29年の歳月が経った。

今回の「夢の懸け橋」、天龍さんの愛娘でもあり、天龍プロジェクト代表の嶋田紋奈氏が、大会挨拶として冒頭のマイクで「決して、本日武道館で開催されるALL TOGETHER(現代版のプロレスオールスター戦といえばいいのか)と対抗しようなどという大会ではありません」と言った。
僕は心でニヤリとした。
いや、でも結局は同日開催で興行を当てて、中身がないといえば言い過ぎだが、とりあえずチャリティー大会と名を冠してはいるが、プロレスってこれで良いのかよ??と言いたくなる今のプロレスラー達に、あの頃の熱かったプロレスを俺達が見せてやるよ!という思いが詰まった大会だったのではないかと思う。

天龍さんは時が経ち、自分が青春を過ごしたプロレスが変質していくのを、いつもは優しく、ただ危機感を持って見つめいているのではないかと僕は勝手に思う。
プロレスというのは、器械体操でも、お遊戯会でも、部活の延長でも、アイドル活動の一環でも、ボディビル大会でもないよ、と。
根底には闘い、強さ、プロレスへの思い入れがないとダメなんだよ、と。
そしてその思い入れが大きければ大きいほど、ファンはレスラーの背中に人生を感じ、また命の次に大切な物を払って、次も見に来てくれるんだよ、と。

今のプロレスラー全員に、貴方はなんでプロレスをやっているんですか?と僕は問いたい。
「俺にはプロレスしかないんだ」そういう気概を持ったプロレスラーって、今果たして何人いるんだろうか?
そんな僕の日頃のうっ憤をある程度昇華させてくれた、そんな大会だった。

冒頭の写真は、大会終了後のリング上での全員集合写真で、車椅子の天龍さんの横には谷津嘉章がいて、その肩を天龍さんは優しく抱く。
SWS時代を知っている世代としては隔世の感だ。
当時の谷津は反天龍派の急先鋒であり、天龍さんとは常に対峙の関係にあった。
ゆえに僕は彼の事が大嫌いだった。
だが、時が全てを癒してくれた。
改めて、プロレスは大河ドラマだという事の再認識と、天龍さんの男としての度量の大きさを堪能させて頂いた。

最後に天龍プロジェクトは小さな団体だ。
でも、観戦に行くと必ず「あゝプロレスもまだまだ捨てたもんじゃないよな」そう思わせてくれる。
是非、色んな方に会場に足を運んで頂きたい。

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