<中国仕入れサービス・カンフー宅配便を始めたきっかけ②のつづき>
韓国へは毎週、少なくとも隔週で行っていました。
基本的な出張のルーティンはこんな感じでした。
①昼は日本で働いて、夕方空港へ行って韓国へ飛ぶ
②ソウルに着いたら依田さんと食事をして市場へ
③夜の4時くらいまで市場で仕入れをして、朝に依田さんの事務所に戻る
④その日に持って帰る荷物が用意されているので、ちょっとだけ昼の市場を見て、その荷物を担いで空港へ
⑤日本に帰って、空港からその荷物を各お客さんに発送する、という日々でした。
毎日が楽しかったのをよく覚えています。
でも、そんな楽しい日々が終わる日が来ました。
2000年代に入っての日本円と韓国ウォンのレート悪化でした。
今まで1000円で仕入れ出来ていた商品が、1200円、1300円、、、と韓国に行くたびに商品原価が悪化していきました。
ある晩、僕と依田さんは梨泰院の焼肉屋で飲みながら、頭を抱えながら「うーん」と話し合いました。
依田さん「中国に拠点移そうか」
僕「えっ、中国も市場とかあるんですか??」
依田さん「なんかあるって、この間ゴルフした韓国人が言ってた」
僕「一回行ってみましょか」
依田さん「為替の事悩んでも俺らには何も出来んしな、よし行くぞ!、かんぱーい!」
僕「かんぱーい」
翌週に僕と依田さんは中国行きの飛行機に乗りました。
以前に上海には行った事がありましたが、中国の他の地区は初めてでした。
そこは浙江省の義烏という雑貨の巨大市場でした。
巨大なビル群を見て、僕は一抹の不安を覚えました。
<中国仕入れサービス・カンフー宅配便を始めたきっかけ④へ続く>