<中国仕入れサービス・カンフー宅配便を始めたきっかけ⑥>からのつづき
そんなこんなで僕は会社を変わっても、市場の商材を使ったビジネスを20数年ずっとやってきました。
基本はお客さんと一緒に中国の市場に行って、そこでお客さんに仕入をしてもらって、それを現地の検品会社兼貿易会社と組んで、検品・副資材の付け替えをして貿易して、お客さんの日本の指定倉庫に着荷させるというビジネス。
これを長い事やってきました。
中国も色々な場所に行きました、新たな市場を求めて。
それこそ、北から南、東から西へと、それこそ日本人見たのは初めて、とお店の人に言われるような場所もありました。
これが僕の最後のライフワークになるのかな、そう思ったりもしました。
2020年1月、僕は武漢市にいました。
僕は中国で好きな都市は、1位武漢、2位大連です。
武漢は古都であり、古くは中国の中心でもありました。
メガシティであり、人口は大阪のそれよりも多いです。
古い建物などがまだ残っており、そこに新しい建物が混在する、緑も多く、食べ物(湖北料理)も美味しい。
僕は武漢を気に入って、何度も訪れています。
でも、その時の武漢はいつもと何か様子が違いました。
既に食品の市場から何かよく分からない病気が流行っており、その影響からか、街中がやたら静かでした。
ただ、語弊があるかもしれませんが、数多くの国に行っている僕の経験上で言わせてもらうと、世界では日本人が知らない未知の病気ってそこかしこに蔓延しています。
僕も海外から帰ってきて、咳が1か月くらい止まらない、などなどは日常茶飯事です。
なので、その時も「ああ、またか」とさして気にも留めずに、次の都市へと移動しました。
その数日後でした、武漢がロックダウンになったのは。
正直、危ないとこでした。
いくら好きな街とはいえ、危なく半年ほど軟禁生活を余儀なくされところでした汗
無事に日本に帰って来て、ノー天気な僕は「まあ、旧正月が終わればすぐに鎮静化するだろう」と気楽に思っていました。
もうちょいでなんとかなるだろう、あと少しでなんとかなるだろう、そう思う生活が続きました。
僕もお客さんも中国に出張出来ないから、しょうがないので、現地スタッフの人間に市場に行って、写真を撮って送ってもらう。
それしかやりようがない感じでした。
僕の場合ラッキーだったのは、その前の段階で中国にある程度拠点をいくつか作っていた事でした。
拠点の会社、スタッフがフルに頑張ってくれて、不完全ながらもなんとか日本での売り上げも維持する事が出来ました。
ただ、みんながみんな僕みたいに中国人とスクラムが組めてるわけではなく、コロナのせいで出張に行けなくなり、市場仕入れにおいて思うに任せない人たちが同業者、小売店、ネット販売業者に増えてきてました。
そういう方の多くは僕に助けを求めてきました。
「どうやったら良いんだろうか?教えて欲しい」
僕はその時に20年ほど前に一度諦めた「市場商品のネット販売をもう一度やれば良いのでは」と思い至りました。
これが、僕がカンフー宅配便をスタートさせた理由です。
信頼できる中国人との出会いもあり、僕はこの事業は必ず成功すると思いながら、毎日毎日を一生懸命事業に邁進しています。
中国仕入れサービス・カンフー宅配便を始めたきっかけ 終わり