慈悲が仇にならなければ良いが

 先日、趣味の「鬼平犯科帳」をテレビで見ていた時に、鬼平が呟いた言葉が心に残った。

「慈悲が仇にならなければ良いが」

「鬼平犯科帳」とは、故・池波正太郎の時代小説であり、代表作である。

鬼平をご存じな方には今更ではあるが、火付盗賊改方長官・長谷川平蔵は罪人への厳しい
責めが有名で、そのため罪人達からは鬼の平蔵、鬼平と呼ばれ、恐れられている。

しかし、確かに鬼平は罪を憎み、その撲滅のためには手段は選ばないが、その本質は慈愛に
満ち、世俗、人々の心の機微に通じた心優しき人格者であった。

やむにやまれぬ事情ゆえ悪の道に走った者、心より改心している者には仏のような寛容さを
見せる。

時には社会のルールを破ってさえも、自分がリスクを冒してさえも、罪人を守ることもあっ
た。

その都度、鬼平もその優しさゆえに苦しみもした。

そんな鬼平の心の苦しみが、上述の言葉に表れている。

「慈悲が仇にならなければ良いが」

自分の優しさ(甘さ)がまた自分を苦しめることに、そして当の罪人をも苦しめることに
なるのではないか。

与えたからといって、他人が必ずしも応え、返してくれるわけではない。

実際はそんなことは稀だ。

逆に恩が仇で返ってくる場合の方が多い。

人間は喉元過ぎれば忘れる生き物であり、一度手に入れたモノは絶対に吐き出さない。

結局は自分は幸せにならない。

それに適正な対応をされなかった者は、結局また同じ事を繰り返すのではないか。

そのリスクは大きい。

そういう全ての事を飲み込みながら、鬼平は苦悩し、だがジャッジしていくのだ。

良い所もあるが、悪い所もある。

良い奴がいつも良い奴ではないし、悪い奴がいつでも悪い事ばかりするわけではない。

良い奴が自分に取って良い奴とは決して限らない。

悪い奴が自分に取って最適のパートナーだったりもする。

そういう人間の本質を理解し、それでも鬼平は人間愛に満ち満ちている。

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