何でそんなに好きなんですか?
尊敬する有名人の欄に「天龍源一郎」と書いているのを見た知人が言った。
色々理由はあるが、高校生から大学生そして社会人一年生辺りの僕は天龍源一郎に
生き方を導いてもらったと思っている。
そして今でも僕という人間の根本はそこにある。
それは確かだ。
高校生ぐらいになると、何となく社会の事が分かった気になって、斜に構えていた。
どうせ頑張ったって変わんないよ。
適当にやればいいんだよ。
腹八分目やればよくて、あとは誰かにやらせればいいや。
あいつら、あんなに汗かいてバカじゃないか。
要領よくやるのが偉い。
いつもそう思っていた。
その日も何となく深夜にTVを点けたらプロレスがあっていた。
何だよ、プロレスかよ。
もう、何年も見ていなかった。
どうせ、退屈な試合なんだろうな。
そう思いながらぼんやり見ていた。
試合は天龍、阿修羅原組(いわゆる龍原砲)VSジャンボ鶴田、谷津嘉章組(いわゆる
五輪コンビ)の試合だった。
今でも覚えているが、いつ試合が終わったのか分からなかった。
僕はプロレスを見ていたのか、それさえも朦朧とするぐらい頭の中が真っ白になった。
なんだ、これは。
頭をガツンと殴られたような衝撃があった。
それはひどく熱い戦いだった。
天龍のプロレスを「カラッと激しいプロレス」と形容する人がいたが、まさにその通り
であった。
それからはプロレスの虜になった。
似非大人の時期に差し掛かっていた僕が知らない間に、天龍源一郎は「天龍革命」と
呼ばれる一大ムーブメントを作り上げていた。
その勢いは最初は「コップの中の嵐」と揶揄されたが、その全身全霊のファイトは文字
通り革命となり、従来のプロレスを革新・変革してしまった。
その歴史の目撃者となり、また僕の人生も変えられてしまった。
一気にプロレス界の主役に躍り出た天龍同盟(天龍、原、川田利明、サムソン冬木、小川
良成)は僕の生きる糧になった。
僕はプロレスに元気をもらった。
原の全日からの解雇には泣いた。
その後の最強タッグで天龍のパートナーに川田が指名された時も泣いた。
それで世の中のルールも学んだ。
一生懸命やっていても、必ずしも全員が幸せになれるわけではない。
世の中はそんなに甘くはない。
でも一生懸命やっていれば、誰かがその頑張りを見てくれている。
僕は人生で大切な事をプロレスから学んだ。
このままじゃ終わらないよ。
ジャンボにやられる度に天龍の背中にそう書いてあった。
やられてからが勝負だよ。
いつの日か、僕も人生に対してそう考えるようになっていた。
天龍同盟解散の日は悲しかった。
でも何事にも終わりがあることを学んだ。
だからこそ、あんなに激しく光り輝くのだ。
終わりがあるからこそ、生きている間に一生懸命走り続けなくてはいけない事を学んだ。
テーマがなくなった天龍源一郎は驚きの選択をする。
新天地・SWSへと羽ばたく。
しかしその羽は愚劣な物書きによって、飛ぶ前からボロボロにされてしまった。
でもそのボロボロの羽を背に、生きるために懸命にもがく天龍がまた僕の道標となった。
もうすぐ11月10日に東京・後楽園ホールにて「天龍源一郎プロレス35周年記念興行」が
開催される。
僕はそこに「青春の答え合わせ」をしに行く。
僕の信じて進んできた道は間違っていなかったか、その確認をしたい。
あれから20年以上が経った。
学生だった僕はおっちゃんになった。
天龍源一郎がSWSへと旅立った年齢になった僕は、今回の興業を人生の折り返し地点と
考えたい。
天龍のこれまでの20年のように僕も熱く生きたい。
天龍源一郎よ、僕にRevolutionのエネルギーを。