いつからだろう、僕は食事を極力食べ残さなくなった。
以前といってもかなり昔の僕は食事に行って、半分も食べたら、あとはおもちゃにするわけ
ではないが、チョコチョコつまむぐらいで、あとは残していたように思う。
それが気付いてみたら、多少苦しくても完食を心掛けるようになっていた。
この事について、考えてみた。
僕の生き方や考え方が変わったのだろうと思う。
そこにはお金に対する考え方、時間についての考え方が変化している事を感じる。
お金を使うのであれば、そのお金の価値を100%以上に高めたいという思いが強い。
無駄にしたくない。
どうせ使うなら、ギリギリの範囲までメーターが振り切れるぐらいに使い切りたい。
だから、そのお金を使う事が本当に価値があるか、真剣に色んな事に悩むようになった。
食事のオーダーの際にどのメニューにこのお金を使い、それで最大限のパフォーマンスを
上げる事が出来るか、真剣に考える。
そして出てきた食事を一つ残さず平らげる事、だってそうしないと例えば1000円の
カレーを半分残してしまっては、500円の価値しかないモノに、僕は1000円を
払わなくてはいけない羽目になってしまう。
それは今の僕にはあり得ない事だ。
僕は1000円を払うが、1100円にしたい気持ちで一杯なのだ。
それは時間についてもそうだ。
大切な時間を無駄な事に費やしたくはない、その思いは日増しに強くなる。
そして、選んだ時間の過ごし方をとにかく精一杯、腹一杯楽しむし、有意義なモノにする。
くだらない時間や、無駄な時間は過ごしたくない。
僕の大切な時間をそれ以上のモノにして、人生を堪能したい。
そう思う自分がいる。
もちろん、齢を重ねつつあるのもあるが、それよりも自分が研ぎ澄まされていっている
ような感覚が何となく心地よい。
常に自分の価値観の維持の為に、メニューと真剣勝負をする40歳。
そして、一度選んだ食事が現れたら、それを骨の髄までしゃぶりつくす勢いで食べ尽くす
40歳。
意外と素敵だと思うが、みなさんはいかが思われますか?
そして、もちろん仕事においてもそうだ。
まだまだ甘い部分がヤマ程あり、食事の際のようになっていない自分が情けない。
だが必ず仕事において、上記した部分をもっと突き詰めていき、会社の完成度を高めたい。
必ずやります。
心掛けるのは、こちらが費やすモノの対価は、最大限のモノを求める。
まだまだ、修行が足りてません。
頑張ります。