水は低きに流れるという。
人間は楽なほうに流されがちだ。
それが自分という人間の価値を貶めてしまう結果になってもだ。
平成7年4月2日、東京ドームでは週刊プロレスを発行する出版社が主催する13団体参加の
一大イベント、「夢の架け橋」があった。
かたや、その敷地内にある後楽園ホールではWARの興行が開催された。
天龍源一郎が90年に全日を退団して、SWS設立に走ったときの騒動を今のファンはどれくらい
ご存知だろうか?
今まで天龍の味方であったマスコミがこぞってバッシングを始めた。
ファンは迷ったが、結局はマスコミに煽られてしまった。
2年間一生懸命走り抜けてきた、プロレス大賞男は一気にプロレス界の鼻つまみ者とされた。
特に週刊プロレスは酷かった。
「天龍は金で動いた」とにかく論調は偏向しており、一辺倒だった。
その時の天龍の気持ちは如何ほどのものだったのであろうか。
SWSは週刊プロレスを取材拒否にする。
時は流れて、WAR設立。
週刊プロレスの取材拒否は解除される。
しかし、あの時の悔しさは決して天龍源一郎の心から消えていなかった!
天龍は、後楽園大会の収益を遥かに上回るギャラを提示されるが、断固拒絶した。
「俺は金じゃ動かない」
痛快なこと、この上なかった。
たまに思う。
天龍がもう少し世渡りが旨かったら、もっと楽にプロレス人生を送っているよなと。
でも低きに流れないからこそ、天龍源一郎は天龍源一郎なのだ。
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