リーダーとポピュリズム

リーダーの一番の役割は何か?

 

それは「自らが組織員の先頭に立って導く事である」と僕は考える。

 

僕は会社に入って3年で組織のリーダーになった。

 

その時にまず苦しんだのは、常に自分の判断で物事に結論を付けなくてはいけない、という事だった。

 

若干、25歳の若造で大した経験もなく、見識も持ち合わせていなかった僕は大いにその事に悩んだ。

 

でも僕が旗をどちらかに振らなければ、僕が受け持った船はどの港を目指さねばならないのかさえ分からないのだ。

 

僕は不確かながらでも常に決断をし続けた。

 

 

正直、その頃のみんなに今でも悪いと思っている。

 

たまに振り返ると、あれは間違った判断だったなと思う事もいくつもある。

 

その時にあの頃の組織員たちの顔を思い出す。

 

僕がもっときちんとしたリーダーだったら、みんなはもっと幸せになったのではないかと思う夜もある。

 

みんなに今会ったら、僕は謝罪すべきかもしれない。

 

 

でも、それでも僕はいつも自分で考え、その時はこれが最良だ!と考え、決断をし続けた。

 

だから、後悔はしていない。

 

もちろん、失敗したことも多い。

 

だからその時は迷惑をかけた組織員には謝りたい。

 

でも、決して後悔はしていない。

 

僕は自分で常に決断してきた。

 

それは僕の人生の誇りだ。

 

 

組織の行く方向を決める、それはリーダーの醍醐味であると共に、とてつもない痛みも伴う。

 

もし失敗したら、リーダー責任論が必ず噴出する。

 

僕も今まで何度も失敗し、批判の矢面にさらされたことだろうか。

 

でも、それが怖くてはリーダーなんて仕事は務まらない事だけははっきりしている。

 

僕はそこで辛酸をなめようと、決して日寄らず屈せず、反骨心を心に宿し、また決断の場へと歩を進めてきた。

 

だから僕から言わせると、それを忌避する者にリーダーの資格があるとは到底思えない。

 

 

最近のリーダー像というものに僕は少々違和感を感じる。

 

リーダーという者は、人気投票の結果でもなければ、組織員のご機嫌取りをする者でもなく、みんなの意見の総和を結論とする者の呼称では決してない。

 

リーダーとは「導く」者の事を指すのだ。

 

もちろん、時には判断を間違えることもあるし、その時点のマジョリティではない事も往々としてあるかもしれない。

 

その事で批判される事もあるかもしれない。

 

でも、その事で大衆におもねる者は僕はリーダーではないと思う。

 

 

最近、よく聞く言葉にポピュリズムという言葉がある。

 

僕はこの言葉が嫌いだ。

 

「リーダーは組織員の言葉をよく聞いて、みんなが幸せになるように行動しなくてはいけない」、当たり前だ。

 

ただ、そのためにみんなの意見を取り入れすぎる事は僕は反対だ。

 

色々な意見を戦わせる、それはもちろん大切な事だ。

 

ただ、みんなの些細な要求全てを机上に載せ、それを叶える。

 

そんな事は不可能であり、それが組織の不幸に繋がる事をリーダーはみんなに伝え、承服させなくてはならない。

 

ポピュリズムというのは近視眼的に陥りやすい。

 

そこに翻弄されてはもはやリーダーはリーダーではない。

 

もちろん、リーダーはその代わりに説明を組織員に尽くさなくていけない。

 

一緒に船を漕ぐメンバーに、どこの港に行くかの正当性を納得させなくてはいけない。

 

 

今のリーダー達は、自らリーダーシップを発揮することがあまりないのではないか。

 

確かに組織員の話はよく聞いてくれ、穏やかな口調で、時には怒るのではなく叱ってくれるのかもしれない。

 

しかし調整型ばかりのリーダーばかりでは、いざ乱世になった時は如何なものか。

 

組織員の言葉に耳を傾ける事は多くても、それに対して反論しないリーダーはそこに本当の気概はあるのだろうか。

 

 

とはいえ、もちろん僕も素晴らしいリーダーでは全くもってない。

 

判断は常に間違え、独りよがりで、みんなへの説明責任も足らず、牽引力にも乏しい。

 

でも、僕は絶対に毀誉褒貶など気にしない。

 

それは「ついてきてくれた人間を必ず幸せにしなくては」という熱い思いを、常に心の根底に宿しているからだ。

 

そのために今日もリスクを冒しながら、僕はジャッジし続ける。

 

 

、、、そんな僕もいつかは幸せになりたいものだ笑

 

 

 

 

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