先駆者の開拓魂

コン・ティキという名前をご存じだろうか?

 

知らない方のために簡単に説明すると、「南太平洋のポリネシア人の起源は南米にあり、それは海を渡って渡来したアメリカ・インディアンである」との仮説を立証するために、1947年に人類学者ヘイエルダールによって指揮されて建造された、何の動力も持たない一隻のいかだに名付けられた名前である。

 

コン・ティキ号は、ペルーから102日掛かってポリネシアに到着し、ヘイエルダールの説の可能性を証明してみせた。

 

 

大阪にこのコン・ティキの名前に相応しい方がいらっしゃった。

 

日本人が海外旅行に行くなど、まだかなり珍しかった1950,1960年代頃に既に今でいうバックパッカーのような旅行者として、海外をその人は旅していた。

 

今のようなインターネットももちろんなく、日本にいて、海外の情報などほとんど入らない時代の話だ。

 

海の向こうは全て未開の彼方であっただろう。

 

だが、その人はそれが男のロマンだったのか、単なる好奇心だったのか、海外を歩き回ったそうだ。

 

アフリカ、インド、南米、、それこそその頃は暗黒大陸と呼んでも言い過ぎではない場所ばかりだ。

 

ちなみにこの頃、同じように海外へ興味を持ち、情報がない中で勇猛果敢に日本を旅立って行った人達の代表は旅行代理店のHIS創業者・澤田会長である。

 

前述した方は、海外のありとあらゆる場所を訪れ、そこの現地の文化を日本に紹介してビジネスにしようと思われたそうだ。

 

果たして、日本初のエスニック店が大阪の地に誕生した。

 

僕が24歳の頃、初めて大阪に赴任し、新規開拓で口座を開けてもらったのがそのお店だった。

 

その時に僕は力んで「うちの大阪は一番業績が悪い部門なんです。なので僕が必ず立て直すんです」と言った。

 

その方は(そのお店のもちろん社長だが)「おお、そうか。それは良いな。よし、飯行くぞ」と言って、僕を心斎橋の高そうな小料理屋に連れて行ってくれた。

 

僕は若くて、初めて入った高級料理店での立ち居振る舞いが分からず、ひどく緊張してしまった。

 

社長は僕に、さっきの僕が立て直すっていう気持ちを持ち続けるように、絶対に諦めなければ夢は終わらないから、と仰った。

 

それから、自分の経験された海外での話をたくさん話された。

 

僕は緊張と、ただあまりにも興味深い話の連続で、とても興奮していたのを覚えている。

 

食事が終わり、僕がお礼を言っていると社長は僕にこう言った。

 

「みんなの目なんか気にするな。自分が信じた道を進めば良いんやから」

 

自らの力で道を切り開いてきた方の言葉はあまりにも重く、若かりし頃の僕の心に深く響いた。

 

先日、その会社の方から唐突に、昨年末に社長が亡くなった事をお聞きし、僕の心は激しく乱れた。

 

いつかあの時のお礼を言える時、それは僕も何らかを成している時でなくては、、そう思い、伺う事が出来ぬままだったのが情けない。

 

権威とは無縁の方で、僕が若い頃に上司を紹介した時に、鼻にもかけてらっしゃらなかったのが潔く、心地良かった。

 

74歳でお亡くなりになり、あれだけ好き放題に生きられたのだから悔いはないだろうと思う反面、いや、そんな事はないと思う気持ちもある。

 

社長はまだまだ色々やりたい事があったのではなかろうかと。

 

亡くなる間際まで、これもやりたい、これもやってなかったと思ってらっしゃたのではないかと。

そう思うと、おこがましいが、僕は生きている。

 

社長に教えていただいた、フロンティアスピリットを胸に秘め、一生懸命やっていかなくては。

 

それが恩返しではないだろうか。

 

コン・ティキ号のように、海図なき大海原へと旅立たれた偉大な冒険家へ。

 

ご冥福をお祈りします。

 

 

 

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