輪島大士さんのご冥福をお祈りいたします

「黄金の左」名横綱であり、元プロレスラーの輪島大士氏が先週死去した。

 

子供の頃、親父と観に行った大相撲の地方巡業で、どの関取もサインをくれずに半べそをかいていた僕の頭を撫でながら、輪島さんだけはサインをくれた事を懐かしく思い出す。

 

輪島さんは事件を起こし、相撲界を追われ、ジャイアン馬場率いる全日本プロレスに身を転じた。

 

相撲は手や背中を土俵につけては負けである、ゆえにプロレスにおける受け身の習得にかなりの苦手意識があったという。

 

38歳での転向は苦労が絶えなかったであろう、ファンは容赦ない罵声を輪島さんの背中に浴びせた。

 

それでも、輪島さんは毎日逃げずに、真正面から相手の攻撃を受け続けた。

 

当時、天龍革命をスタートさせていた天龍源一郎は、そんな輪島さんを毎日激しく攻め立てた。

 

このままでは輪島さんが壊れてしまう、、ファンの誰もがそう思った。

 

それでも輪島さんは胸を突き出し、全ての攻撃を受け切っていった。

 

 

天龍さんは後年、あの頃をこう述懐する。

 

「俺はね、横綱っていうのはこんな頑丈でタフで凄いんだよっていうのをファンに分からせたくて、毎日輪島さんに厳しく当たっていたんだよ」

 

天龍さんも元は相撲取りであり同じ二所ノ関一門、天龍さんの最高位は前頭筆頭、輪島さんは最高位である横綱、天龍さんが青春の全てをぶつけた相撲の頂点にいた輪島さんをなんとか男にしてあげたいという熱い思いがあったのだ。

 

当時の僕は輪島さんと天龍さんの戦いを観ながら、ああ男というものはこうやって毎日を凌いでいかなくていけないのだなと学んだ。

 

相手の攻撃を決してよけたり、逃げたりせず、すかしたりせず、真正面から全てを受け切り、その後自分の全身全霊を相手にぶつけなくてはいけない。

 

それが僕がプロレスから、いや男の中の男である輪島さんと天龍さんから学んだ男の生き方だ

 

受けるだけではなく、受け切らなければならないのだ。

 

そうそれは男の人生と同じなのだ。

 

誰も自分の人生から逃げ出したりしてはダメなのだ。

 

一瞬の勝ち負けなどそんなものは些末なものであり、物事の本質はそこにあった。

 

輪島さんの背中にはそんな生き様が刻み込まれていた。

 

 

輪島さんの死去に際し、天龍さんはマスコミから発言を求められるが一切発していない。

 

遺族の方の心境を考え、そしてあの灼熱のようなリング上の戦いの中で思う存分やり合った輪島さんの事を安っぽいコメントなんかで語ってたまるかよ、そう思っているのではないだろうか。

 

 

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